娘と毎晩ウルトラマン

毎晩娘に読み聞かせているウルトラ系の絵本の紹介です。

一休みして娘と大相撲

絵本ネタが無くなった訳ではありませんw。ここ半年の間ずっとテレワーク中でして、大好きな大相撲も定時で見れるのを良いことに、娘を半ば強引に引き込もうと目論んでおります。

おかげさまで三場所見れたので照ノ富士くらいは覚えてくれました。あとタカケーショーとかショーダイとかは何となく覚えたのですが、ワカタカカゲとか言いにくいのは無理っぽい感じですね。

私が大相撲に魅せられたのは何といっても『貴ノ花』でした。と言っても若貴兄弟の横綱貴乃花ではなく、そのお父さんの初代貴ノ花です。

初代貴ノ花です。見ての通りの男前で軽量でしたが大関まで昇進しました。

もう絶対負けたと思う体勢から粘って逆転勝ちしたりして、まだ小学生だった私は心を奪われましたね。部屋にポスターを貼ったり相撲部屋まで行ってサインをもらいに行ったりするくらい大好きでした。テレビ中継の時は文字通り心臓が口から飛び出るんじゃないかと思うくらいドキドキして見てました。

貴ノ花が優勝決定戦で横綱北の湖を破って初優勝した'75年春場所。日本中が熱狂しました。私も発狂しました。

あれは中学生の頃、友達と早朝に貴ノ花のいた二子山部屋までチャリンコで行って出待ちしてました。そして出て来た時、あまりのカッコよさに躊躇してしまいました。それは私だけではなく、友達もその他知らない人たちも同じで、その私たちに貴ノ花が苦笑して、「サインいいの?」って言ってくれた途端みんな我に返ってワッと群がりました。がしかし、あまりに大勢来たので私のひとり前の友達で終了~。私はサインをもらえませんでした。現代でしたら割とサインの対応とか良いのでしょうが、'70年代なんてそんな感じです。

死ぬ時にあの時こうしておけば良かったと思い返すことがあったら、間違いなくなぜあの時サインをもらいに行けなかったんだがトップでしょうw

それから時が経ち'80年代半ばころ、私も二十歳過ぎの大人になり、中野駅から中央線に乗ろうとしたその時、同じドアからおじさんが3人くらいの若いお相撲さんと一緒に乗り込んで来ました。そのおじさんは貴ノ花でした。引退して親方になっていました。ここで出会うか!と。

あの神々しいくらいにカッコよかった貴ノ花も髷を切って引退して数年すると、普通のおじさんになるんだなぁ。ここで、あの時サインもらえなかったんで今くださいって言えたら私も大したもんですが言えるわけなく、ただあの貴ノ花と同じ電車に乗ってることに何とも言えない気持ちになっていました。

残念ながら2005年に55歳の若さで他界してしまいましたが、私の心に強烈な思い出をいくつも残してくれた貴ノ花。娘にもそんなお相撲さんが現れないかなと思って、一緒に見れる時はなるべく見るようにしていますが果たして・・。

引退式の直後の写真でしょうか。あの若貴兄弟が幼くて笑えますね。